何度もあいさつをした。
涙もあったし、けんかもあった。
子どもたちの眼の奥の心情に震えることがたくさんあった。
子どもたちの発する言葉の彩りに驚き、人間の可能性を数知れず発見した。
流れる時の中で、それはすべて1点につながっていった。
「いのちを信じる勇気」
それは、僕の信念の一つになった。
信じることは難しい。
なんだかんだ人間は好き勝手に生きるし、価値観は人の数だけある。
自分なりの信念を貫くことはとても勇気がいる。
孤独にはなりたいけど、孤立はやっぱり怖いから。
でも、みんなのおかげで、
これだけは信じて、大きな声で叫べるようになった。
「幸せに生きたければ、子どもから頂きまくればいい。」
眼の濁った大人たちは、
世界をまっすぐ見ることを、
フロー状態に入って無心になることを、
本気で暇をもてあそんだその先で想像と創造があることを、
死んじゃいそうなぐらい嫌な時は逃げることを、
もう大事なほとんどのことを、めいっぱい子どもから学べばいい。
年齢を重ねることで、知識や経験が増える。
が、ゆえにそいつが幸せに生きることの邪魔をし、
世界を、人を信じられんくなるぐらいなら、精神の年齢を重ねることをやめちゃえばいい。
生きとる上で大事なことを、とってもたくさんいただきました。
僕は、子どもから頂いた純粋なものを、
いかに企業や社会の大人に純粋に返すかどうか、を真剣にやっとります。
あたりまえにそれが必要だと信じとるから。
信じられるだけのものをバンバン子どもたちから頂いたから。
6年が経った。
窓越しに観る葉山の風景は何も変わっていなかった。
でも、だからこそ、変わらない風景にまとわりついた匂いがとても愛しく少し涙が出た。
自分の人生においての、家族の風景は大きく変わった。
3人の子どもが増え、大所帯になった。
周りは「子どもが3人もおるなんて大変だねぇ。」と言う。
いやいや、こんなありがてぇことはないっす。
最高です。
神様であり、天使であり、厳しい師匠がたくさんいます。
これからも僕は子どもを愛します。
子どもに甘えて頼って、発見し、愛します。
なんか宣言みたいな終わり方になっちゃうけど、
やっぱり子どもに頂いたものは、大人にもだけど、子どもの明るい未来に返したい。
返せるいのちでありたい。
子どもに負けんように、こちらが心を解放する。
その一点にのみこだわり、精神をすり減らした日々は着実に実を結び、
僕の幸せに結びついています。
みんなのおかげだよ。ありがとう。
ありがとう。俺の友達よ。ありがとう。本当にこころから。
またおもいっきり解放して、おもいっきり遊ぼうな。
最後に言ったように、
俺の中にみんなは生きとるし、みんなの中で俺は生きとる。はず。
生きたい。
そんな馬鹿でいなたい、人の心をみつめつづける、時代遅れの男でおるでな。
「おう、ひさしぶり。
俺の心は俺のものだ。
そっちの心はどうだ?」
なんてね。
また遊ぼうぜ。
バイバイ!!